目に見えないものの正体(教育)

お勉強

教育について書こうと思ったのですが、自分の経験(昭和時代)と現在の表面的な比較の羅列だけになり、頭打ちしていました。社会が変り、ニーズも変り、でもその中で生きている大人は、なかなかマインドを更新することも出来ず、日本の教育現場も全体としてアップデートできていないです。

ChatGPTに壁打ちしている内に、気になることがありました。昭和時代と令和時代の比較を文字で表されても、大人は、消費税が増税された時や、お米の価格が高騰したとき程の明確なショックというか刺激、認識を受けないように思えたのです。おかしな例ですが。

大人が、当時との違いを受け入れて、ハッとするような表現をだしてもらいました。

🧠 はっとする!価値観の転換を示す表現例

昔の常識今の現実気づきを促すフレーズ
「指導」とは“間違いを正すこと”「指導」とは“対話して気づかせること”❝叱ることが教育だと思っていませんか?❞
「ルールは守るもの」「ルールはつくりかえるもの」❝あなたの子どもが、校則を変えられる時代です❞
「誰もがやってきたんだから」「それがつらかった人が声を上げてきた結果」❝“昔もそうだった”は、痛みに蓋をする言葉です❞
「みんなと同じが安心」「みんなと同じが怖い」❝“みんな一緒”が、今の子には恐怖になることも❞
「うちの親はもっと厳しかった」「だからこそ、自分の子には優しくできるはず」❝我慢の連鎖を終わらせるのは、今の大人です❞
「ちゃんとしなさい」は万能ワードだった今は、具体的に伝えないと届かない❝“ちゃんと”って、どうすればいいの?が今の子の本音❞
「自由にしていいよ」は優しさだった自由の裏には“失敗しないで”という無言の期待❝自由に見せかけた自己責任、押しつけていませんか?❞
「子どもは遊ぶのが仕事」今は「時間が空いたら勉強」❝“遊びすぎ”と感じるのは、大人の心に余白がないからかも❞
「昔のほうが厳しかった」今のほうが“見えない厳しさ”が多い❝今の子は“評価の網”の中でずっと泳いでいます❞

「今の現実」で合っていないところもありますが、「見えない厳しさ」という言葉が気になりました。当時に比べ、怒ること、叱ること、罰を与えることが少なくなり、目に見える厳しさが減りました。一方で、「こうしなければならない」「こうしないと認められない」という無言の期待や空気、圧力、また形が変って校則や学校行事での厳しい練習など、管理に重心が向いてきたのかもしれません。その意味で、今の子どもは、生きにくい世代だと思います。

このままではいけないです。

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