郵便物の今後について想像してみる

暮らし

友人への年賀状を送らなくなりました(親族へは、送っています)。友人からもこの1,2年で来なくなってきました。

年賀状じまいのエチケットもあるようですが、私は自然消滅へ。近い友人とはLINEで連絡するのですが、他の方は年賀状だけのおつきあいだったので、これで一旦終了。

こうして、小学生から続いてきた年賀状(アナログ)でのつながりはなくなってきました。このままだと、アナログでのお知らせは喪中はがきだけになるのでしょうか。人の住所を知っていることは、町内会でも学校でも昭和時代では普通だったけれど、今は人に住所を聞くことはせず、LINEなどでつながります。当たり前のことですが、はがきやレターは宛先が住所で、家族がはがきや封筒を見ることもあるのでやや公なものだけれど、メールは1対1のつながりですね。「やや公」なものがないのは、少し寂しいですが、これこそオンライン化なんでしょうね。

1対1のつながりだけだと、連絡したいが連絡先知らない・忘れてしまった時には、つながっているコミュニティーや地域が頼りになるのでしょう。

ここから、くだらない想像してみます・・・。

年賀状や手紙のやりとりが更に激減すれば、童謡や絵本で郵便に纏わるものがなくなることはないでしょうが、昔は郵便を使っていたのよと子どもたちに説明するのでしょうね。

また郵便料金が更に値上がりされるかもしれません。高価なはがきと高額な郵送料金で、体験したことのない受領する経験、サービスが生まれるかも。安直な想像ですが・・・、誰かが手紙を受け取るところを、演者を加えて動画撮影して、盛大な受領サービスにするとか。

オンライン化の進んだ国では、行政手続きがオンラインで完結するそうです。国民のITリテラシーが進めば、役所からのお知らせはない、免許更新のお知らせもない、マーケティングで働きかけるはがきや郵送物もない、となると郵便受けやポストも遺産になるのでしょうか。

もしかするとAIが伝達の手段も持ち始め、世界一括管理して、音声サービスつけてくれたり、・・・。そうなると、停電、災害の時に、人間はあたふたしそうです。リスク管理の新しいサービスも生まれそう。

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